言葉や文章一つを翻訳するようによく要求されることがあります。しかし、単語を一個ずつ翻訳が出来ても、直訳になり、意味が全く違う場合もあります。また、言語によっては文章には翻訳するのに情報が足りないこともあります。
それぞれの言語に独特の文法やルールがあり、その言語だけで話していると何の問題はないのですが、その会話の一部だけを正しく翻訳や通訳出来ないことがよくあります。
たとえば、会話の中で「お父さんは犬の散歩をしている。」という文章が出た場合は、追加情報がなければ、翻訳が不可能です。本人同士は話を分かっているが、翻訳者は正しく理解していないことが多い。文章の単語を翻訳・通訳するのではなくて、その文章の意味を訳すべきです。この例では、犬が何匹か分からないと英語に翻訳ができません。それと誰の「お父さん」かが分からないと自然に訳せません。
あり得る訳文は少なくても次の候補があるでしょう:
● His father is walking the dog.
● Your father is walking the dogs.
質問をして、その文章の背景を理解していないと正しい翻訳が出来ません。
また、中国人に「私は北京にも行きます。」を中国語に翻訳するように頼むと多くの人は「我也去北京。」と答えます。その後、「私も北京に行きます。」を翻訳するように頼むと、困った顔でまったく同じ文章を繰り返す。前後の文章があれば、両方の日本語の文章が同じ中国語になりますが、単独の文章だとどっちの意味かが判断できません。勿論、区別しようと思えば、2つの中国語の文章を作れますが、自然でもないし、上記の順番で聞くと殆どの人は区別が出来ない答えを言う。
逆に、中国語の「我也去北京。」を日本語か英語に翻訳することが出来ません。一人が2つの場所に行っているのか、2人以上が北京に行っているのか分からないからです。
翻訳するのは言葉ではなくて、意味です!